To Be a Good Company

白石 康次郎

みんなで力を出し合い、
誰かを助ける。
損害保険は、愛である。

1994年に当時26歳でヨットによる単独無寄港無補給世界一周の史上最年少記録(当時)を樹立。2006年、単独世界一周ヨットレース「Five Oceans」Class1(60fit)で歴史的快挙となる2位でゴール。そして、数々の冒険を重ねた後、2016年に最も過酷な単独世界一周ヨットレースといわれる「Vendee Globe」にアジア人として初出場。

好奇心を原動力に世界の大海原を疾走する男にとって、挑戦とは?保険とは?ご自身の人生をそのフィロソフィーと共に伺った。

水平線の向こうに思いを巡らす
好奇心あふれる少年時代

プロフェッショナルセーラーとして、数々の挑戦を繰り広げてきた白石。人生で初めての冒険は、一人で親戚の家に電車を乗り継いで行った小旅行である。
「小学校3年生くらいだったでしょうか。鎌倉の自宅から北区赤羽の親戚の家まで一人で切符を買って行きました。親に言われたとかではなく、自分で行ってみたいと思った。単純に好奇心ですね。僕は幼い頃から鎌倉の海を眺めて、あの水平線の向こうはどうなっているんだろうと、思いを巡らす子供でした。当時から世界を一周してみたいという気持ちがどこかにあったのでしょう。その原動力は、好奇心。それはいまでも変わらないですね。」

海の向こうへの好奇心を胸に、船乗りになろうと水産高校に入学した白石青年は、そこで驚愕のニュースに出くわす。
「世界一周ヨットレースで多田雄幸という人が優勝したのです。しかも、ヨットというと当時はお金持ちのイメージがありましたが、多田さんは個人タクシーの運転手で、自分でヨットを造って世界一になったと。そんな人がいるのかと衝撃でした。居ても立ってもいられず、何とかして話を聞きたい。インターネットのない時代ですから、駅の公衆電話の電話帳で見つけて、弟子にしてくださいと直談判しました。」

まさに、行動の人である。それから師匠との濃密な時間が始まる。「多田さんはヨットのことを具体的に教えてくれたわけじゃない。でも、どんなに海が荒れても動じない姿勢とか、目に見えないことを示してくれた。」というように、ひたすら師匠の背中を追いかける。高校卒業後は就職せず、仙台の造船所に住み込みでヨット造りを学ばせてもらった。「やりたい職業はなかった。とにかくヨットで世界一周がしたい。飯だけ食わせてもらえればいいからと、1日中泥まみれになって2年間、ヨット造りを覚えました。」

ただ、好きなことをやってきた
何かに挑むのが当たり前の人生

そんな中、師匠がオーストラリアでレース中に自ら命を絶つ。衝撃を受けた白石は、世界一周への意志をさらに強め、師匠の友人である造船所の社長を訪れ「どうしても世界一周したい。お金は一銭もない。船を修理したい。」と頼み込み、居候させてもらって準備を進める。そして、2度の失敗を経て26歳の時、3度目の航海で世界一周に成功した。単独無寄港無補給世界一周の最年少記録(当時)だった。挑戦に次ぐ挑戦の人生である。しかし、白石にその意識はない。
「僕のやっていることを人様は挑戦とか冒険と言うわけです。しかし、その意識はありません。ただ、好きなことをやってきた。それ以上でも以下でもありません。原動力は、常に好奇心です。」

何かに挑むことがあたり前の人生である。白石に失敗やリスクという概念はないのだろうか。
「挑戦や冒険というものは、誰もやったことのない、初めてのことに挑むことです。初めてやるわけですから、うまくいかないことの方が多い。多くの人が失敗を経験するのです。でも、それは本当の意味での失敗ではない。こうすればうまくいかないことがわかったということ。それを繰り返すことで経験になっていき、自ずとできるようになっていくのです。つまり、挑戦と失敗やリスクは、別々にあるのではなく一体のものです。挑戦の中にあらかじめ失敗やリスクがインクルードされているわけです。」

これまでの冒険で
損害保険を
かけなかったことはない

水の中に生息する魚は、水を意識することはない。同様に、常に挑戦の只中にいる男にとって、挑戦は意識に上らないほどあたり前のこと。失敗やリスクもその一部なので、恐れというものがない。では、失敗やリスクをカバーする損害保険も同じなのだろうか。
「損害保険はものすごく大事にしています。これまでの冒険で損害保険をかけなかったことは一度もありません。リスクや損害保険も挑戦の一部だから、とりわけ意識することはないですが、大切な存在です。損害保険は、みんなで助け合おうというもの。みんなでお金を出し合って、災害や予期せぬ出来事があった人を助ける。損害保険は、安心ではなくて愛なのです。その精神は、人生や冒険そのものです。誰もが、誰かを助けるために生きている。僕も師匠をはじめたくさんの人々に助けられてきました。もう、師匠に恩返しすることはできないけれど、クルーなど自分よりも若い人にその思いを継承していきたいです。」

そんなたくさんの愛と思いを乗せて、再び挑戦が始まる。2020年11月、世界最高峰のヨットレース『Vendee Globe』への参戦。前回、アジア人で初めての出場となったが無念のリタイアを喫した。
「新艇が完成し、素晴らしいスタッフと出会い、ようやく理想のチームができました。多田さんの名前を電話帳で見つけて弟子入りを直訴してから30年です。これまで楽しい方へ、楽しい方へと、舵を切ってきました。その中で実感してきたのは、すべては自分の思い次第ということ。前哨戦で2つのレースに出て新艇を試し、改造を重ねて本番を目指します。ヨーロッパでは、ユーロサッカー、ツール・ド・フランスと並ぶ巨大イベントです。新しい艇で、地球をかっ飛ばしてきます。」
前回の優勝記録は、74日3時間35分46秒。この長い期間たった一人、無寄港無補給で世界を一周する。レース中は1日1時間以上連続で寝ることはない。故障の際は自分で修理し、荒れ狂う海の中8階建のビルに相当するマストによじ登らなければならない時もある。成功、失敗、リスク、そして愛、すべてを包含した挑戦である。