シリコンバレー流
スタートアップとの最強タッグ
PROJECT STORY #6
PROFILE
東京海上ホールディングス
Head of Digital Innovation
楠谷 勝 Masaru Kusutani
1994年入社。コマーシャル営業部門で、エネルギー分野、金融分野のリスクマネジメントに携わった後、グループ全体のデジタルイノベーション推進に従事する。2016年からは、東京海上グループ初となる米国シリコンバレーにおけるデジタルイノベーション拠点の立ち上げを行い、デジタル技術を活用した新しい保険サービスの開発や、スタートアップ、プラットフォーマーとの戦略的アライアンス構築などに取り組んでいる。
「地球儀」の視点で社会課題を捉え、イノベーションに挑む。巨大な顧客基盤をいかし、保険の進化と価値創造を実現。
テクノロジーが世界の隅々にまで行き渡り、あらゆる業界で、産業構造とビジネスモデルの変化が加速している。この激動の時代の中、競争優位を勝ち取るために、企業間の熾烈な争いがグローバルで繰り広げられている。東京海上グループは、FinTechの中でも、今後さらなる広がりを見せるInsurTech(保険=InsuranceとTechnologyを掛け合わせた造語。インシュアテック)の実現と新たな価値創造に向け、イノベーションの聖地シリコンバレーに乗り込んだ。
インシュアテック発祥の地、あらゆるテクノロジーイノベーションが生まれるシリコンバレーへ
サンフランシスコから南へ50kmほどのサンタクララバレー一帯は、通称シリコンバレーと呼ばれ、インテルやアップル、グーグルなど、数々の世界的企業が生まれたデジタルイノベーションのメッカとして有名である。ここ数年は金融系企業の進出が後を絶たない。FinTech関連のスタートアップはいまや2,000社を超え、彼らのもつ技術やソリューションを求めて、世界中の大企業が集まっている。2016年11月、楠谷はこの地区に「Tokio Marine America」デジタルイノベーション拠点を立ち上げた。
「人工知能、ブロックチェーン、ドローンといったテクノロジーを活用して、保険自体を革新していく、いわゆるインシュアテックの開発に世界の保険メジャーが力を注いでいます。我々、シリコンバレー(SV)チーム発足の目的もそこにありました。イネーブラーと呼ばれるインシュアテック関連技術をもった人々と上手く連携し、自社の製品やサービスを変革していく一方で、もう一つ重要な観点として、テクノロジーを活用して自ら新しい保険事業を始めた企業への対応が必要でした。これらの企業はディスラプターと呼ばれ、新たなビジネスモデルによって、既存の市場や常識を破壊し、脅かす存在として大いに注目されています。
これらの最前線のテクノロジーやビジネスモデルを、東京海上グループのデジタル戦略を推し進める上で、どう活用していくか、着任直後から、向き合い方のスタンスをどう取っていくかを決めるための活動を始めました。」
インシュアテックのスタートアップはここ数年、各国で急増している。欧州ではドイツ、ロンドン、アメリカではニューヨーク周辺とシリコンバレー、アジアでは深圳、上海、シンガポールと、本拠地は分散しているがそのほとんどのプレーヤーが技術革新のハブであるシリコンバレーに拠点を設け、リサーチと開発を進めている。
「戦場に丸腰で乗り込んだ、というのが当初の率直な感想です。会社としてまったく前例がない、ガイドとなる人材もない、未知のミッションでした。シリコンバレーでは、世界中の頭脳と資金が集まっており、待ったなしの競争を繰り広げています。生まれたばかりのスタートアップも半端なものではなく、いずれも突出したキャリアをもった人が人生をかけて起業に挑戦している、つまりあらゆる企業がイノベーションを生み出すために真剣勝負を繰り広げている場、それがシリコンバレーなのです。」
グローバルメジャーは、社会をより望ましい方向に変革していくために、Active Contributor の役割を担う
シリコンバレーでは、名だたるグローバルメジャーと生まれたばかりのスタートアップ企業が林立し、独特のエコシステムを形成している。楠谷は、スタートアップが具体的にどんな技術やソリューションをもっているのか、そして、東京海上グループとして協業するメリットがあるのかを見極めるため、多くの企業と接点を持った。
「ここでは、これまでのビジネスの考え方がほとんど通じませんでした。たとえば、あるテクノロジーを活用して自社の課題を解決したい、サービスや商品を開発したい、といったごく当たり前の考えだけでは誰も情報を与えてくれません。自社の課題を解決するというより、業界あるいは社会が抱える課題をテクノロジーによってどのように解決していくのか、という社会的意義がまずは優先されます。つまり目先の利益ではなく、もっと大きな目的に向かって動いているのです。」
革新的なテクノロジーは、社会をより良い方向に進化させる力を持つ。英知の谷の住人たちにはそんな共通理解が存在するという。
「彼らが求めているのは単に技術を高く買ってくれる金持ちではなく、イノベーションを生み出すためのパートナーです。我々のような大企業はスタートアップを育て、芽吹いたばかりのテクノロジーの成長を助け、シリコンバレーのエコシステムの中で積極的に貢献する、"アクティブコントリビューター"という役目を担っています。誰かが作ったチャンスに都合よく相乗りしようとするいわゆる"フリーライダー"には全く存在価値がありません。」
シリコンバレーが持つ、この独特のセオリーの存在に気づいた楠谷は、社会や業界に内在する根本的な課題を解決するため、東京海上グループが貢献できることは何かを真剣に考え始めた。企業競争という視点を超え、より大きな勝負に挑む覚悟を固めて。
東京海上×メトロマイル
市場の未来をともに描く、最強のアライアンスが実現
2017年に入り、楠谷は一つの運命的な出会いを果たす。とあるイベントにて、インシュアテックのスタートアップ企業の一社であるメトロマイルのCEO、Dan Prestonとあいさつを交わした。
「メトロマイルは、今、私が新しい保険会社を立ち上げるならこうする、ということをすべてやっている会社でした。実際に出会い、彼らのビジネスのやり方を知る機会を得て、大変な衝撃を受けたと同時に、何か運命的なものを感じました。」
メトロマイル社は、業務プロセスに先端テクノロジーを積極的に導入しており、データ分析を強みとしている。広告、保険加入、事故対応等の顧客接点に高い品質のユーザーエクスペリエンス(UX)を提供する独自ビジネスモデルによって、個人向け自動車保険市場で急成長を続けていた。
「たとえば、Uberを経験したら、既存のタクシーの不便さには、もう耐えられません。路上で手を挙げて止める必要もない、ドライバーに行き先を伝える必要もない、乗車中に料金がアプリに明示され、支払いを済ませるので、小銭を集めて支払う必要もありません。土地勘がなくても、英語に不安がある人でもストレスがほとんどなくUberを利用できるのです。このサービスを利用してしまったら、タクシーには戻れません。
もう過去には戻れないくらいの快適さ、これこそが本物のUXだとDan Prestonは言います。メトロマイルは、自動車保険を消費者にとって最も快適なものにしている会社です。既存の商品やサービスに対して顧客が感じている不満を徹底的に解消しているのです。たとえば、加入や事故対応のアプリをつくる場合に、彼らは必ずAとBの2種類を用意し、ユーザーに触ってもらい、高く評価された方を残します。いわゆるABテストですね。これを何度も繰り返して淘汰されたアプリは相当に快適なものになっています。」
楠谷が感じたのは、顧客の満足に対する徹底した誠実さだ。もちろん、既存の保険会社も顧客の声に耳を傾け、その声をサービス改善に反映するといった活動には従来から取り組んでいる。しかし、その方法では、あえて不満や意見を伝えてきた顧客の声に限られてしまう。メトロマイルが開発したユーザーインターフェース(UI)ではすべてのユーザーの評価を商品、サービスにまで落とし込めるのだ。
「Preston社長の言葉を借りると"まるで息をするようなUX"。彼との出会いで我々ができていなかった多くのことに気づかされました。」
楠谷は、日本・そしてアジアの顧客に本当の満足を実感してもらうためには、メトロマイルとのアライアンスが不可欠だと感じ、積極的なアプローチを始めた。しかし、企業の歴史も会社規模も著しく異なる両社が、互いに公平な立場で話し合うことは決して容易ではなかった。
「メトロマイルは社員の約半数がデータサイエンティストという、既存の保険会社とは全く異なるDNAをもった会社です。人材もカルチャーもビジネスモデルも国の慣習も、全く異なるのです。そもそも既存の保険会社がつくりあげてきたサービススタイルをスクラップ・アンド・ビルドしようとビジネスを始めた彼らと理解し合うことは非常に難しく、多くの時間を費しました。本当に腹を割ってとことん話し合い、最後は企業という枠を超えた、人と人との本音のぶつかり合いになりました。でも、私にはどんな難関も乗り越えることができるという確信がありました。それはメトロマイルという会社もPreston社長もとても誠実だったから。我々、東京海上日動とケミストリーが合っている、そこが一番大事なのです。」
このアライアンスの実現に向け、楠谷は、Tokio Marine America、日本の東京海上日動本社から選りすぐりのメンバーを集め、プロジェクトチームを結成し、アジェンダごとにメンバーを指名してプレゼンテーションを繰り返した。このプロジェクトに関わったメンバーは延べ100名にまで上った。
「メトロマイルは各国のグローバルプレーヤーを俯瞰した上で、どこと組めばよいのかを非常に冷静に判断していました。交渉の場では、私自身はあくまでも中立的な立場を貫き、どちらにも偏らずに根気強く話し合いを前に進めていきました。
我々が選ばれた最大の決め手は、企業の規模ではなく"専門性"、つまり、保険ビジネスの神髄にいかに精通しているかに尽きました。自社だけ、業界だけという狭い視野でなく、地球儀全体をみて抽出した課題に対し、我々が真剣に取り組む覚悟があることを見たのだと思います。」
2018年7月、東京海上日動は、メトロマイル社とのアライアンスを発表した。協業の最初のステップとして、東京海上日動はメトロマイル有するデータ分析や人工知能等技術を用いて、保険金支払判断の迅速化や事故対応自動化などへの応用を目指す。
今がどんなに快適であっても、飛び出して挑戦し続ける。
「巨大な顧客基盤を有する大企業がスタートアップのように振る舞うことが出来たら、それこそ最強だと思いませんか。今回のパートナーシップによる最大の収穫は彼らのUXマインドです。20年以上、企業を相手にビジネスを展開してきた私ですら、彼らと話をして改めて学ぶことがたくさんありました。これまで私たちは東京海上グループの力でお客様に最高のサービスをお届けしていると思っていました。しかし、"地球儀の視点"で我々の課題を見ると自社だけではできないことがたくさんあります。私は今後、東京海上グループをトップレベルのアライアンス企業にしていきたいと思っています、我々SVチームの役割は大きく、まだまだやるべきことがたくさんあります。」
これまでの概念を大きく超え、社会全体に新たな価値を提供する、楠谷が描くこれからの保険とはそういうものだ。そして、その実現はさほど遠くないと語る。
「社会にこれまでにない安心を生み出す企業になりたいと考えています。現在のところ我々は、お客様がトラブルに見舞われた時、保険でトラブルの前の状態に戻すこと支援しています。しかし、一番良いのはトラブルが起こらないことではないでしょうか。予測が出来て手が打てる、それこそ最高のサービスです。我々はお客様をお守りしたい、そして、万が一事故にあっても、まるで何事もなかったかのように、"息をするように"元に戻していく、そんなサービスを提供できる世界を目指しています。
東京海上グループ×スタートアップ、東京海上グループ×大企業、このような掛け算を躊躇なくやっていかなければ、目指す世界は実現しません。今がどんなに快適であっても、今の状況に甘んじてはいられません。つねに挑戦し続けること。そのマインドを持ち、行動し続けることが、一番大事だと思います。」
楠谷をはじめとする、一人ひとりの挑戦が、社会に新たな価値を生み出している。
※仕事内容および所属部署は取材当時のものとなります。