仕事を知る
STORY
事故による悲しみを減らしたい。
――信念が紡いだ、キャリア
ストーリー
――信念が紡いだ、キャリア
ストーリー
倉田 学
Kurata Manabu
2010年入社。神奈川損害サービス部、四国損害サービス部を経て、東京海上日動リスクコンサルティング(TRC)・ビジネスリスク本部(現・東京海上ディーアール)に2017年より出向。災害対策支援をはじめとした企業リスクに対する支援を幅広く実施する。2020年総務・災害対策推進室を経て、2025年には東京海上日動自動車損害サービス分野初となる、災害対応専任ポストに就任。被災地の負担を軽減する体制構築に奔走している。
気候変動がもたらす“想定外の災害”に挑む
大小含め多くの地震が起こる日本。
地震大国であるがゆえ、災害対策の核は地震による建物損壊に長らく焦点が当てられていた。ところが、水災としては近年稀にみる被害が発生した熊本の「令和7年8月豪雨」。さらには兵庫で起きた「令和6年4月16日の降雹」など、気候変動により災害が多様化する昨今、水災や雹災においては自動車への被害は避けられない。そんな、お客様の“いざ”をお守りするパーパスを掲げる東京海上日動では、いつ・どこで・どのような規模の災害が発生した場合においてもスピード感をもった災害対応態勢の構築が求められている。そういった背景から、自動車損害サービス分野初となる「災害対応専任ポスト」が新設されたのだ。
気候変動による影響から、今後もますます重要性が高まる「災害対応」。新設ポストに就任した入社15年を迎えた倉田が、災害の最前線に挑む意義を語る。
地震大国であるがゆえ、災害対策の核は地震による建物損壊に長らく焦点が当てられていた。ところが、水災としては近年稀にみる被害が発生した熊本の「令和7年8月豪雨」。さらには兵庫で起きた「令和6年4月16日の降雹」など、気候変動により災害が多様化する昨今、水災や雹災においては自動車への被害は避けられない。そんな、お客様の“いざ”をお守りするパーパスを掲げる東京海上日動では、いつ・どこで・どのような規模の災害が発生した場合においてもスピード感をもった災害対応態勢の構築が求められている。そういった背景から、自動車損害サービス分野初となる「災害対応専任ポスト」が新設されたのだ。
気候変動による影響から、今後もますます重要性が高まる「災害対応」。新設ポストに就任した入社15年を迎えた倉田が、災害の最前線に挑む意義を語る。
悲しみを減らしたい。それがリスクマネジメントの原点
保険会社と聞いて、多くの人が思い浮かべる仕事は保険金の支払い業務。当時、大学院生であった倉田が抱いていたイメージも世間一般のものと相違なかったが、災害の最前線を牽引するプロフェッショナルへの一歩が開かれた。それが、就職活動時に参加した「東京海上日動リスクマネジメントセミナー」だ。そこで、事故を未然に防ぐリスク削減も保険会社の役割なのだと知る。
「学生時代に、交通事故に遭いました。幸い軽傷で済んだものの、やはり事故に対する恐怖感や不安感が募ったため、大学院では人間工学に基づく眼球運動とドライバーの関係についての研究をしていました。事故に遭ってしまうと、人生が一気に変わってしまう。だからこそ、どうしたら事故を減らすことができるのかを模索していたんです」
事故によって起きる悲しみを減らしたい。
そんな自身の想いを活かせる場は保険会社なのではと考えた倉田は、東京海上日動へ入社を果たす。最初に配属された横浜損害サービス第二課(当時)では、自動車事故の対人・対物賠償などの事案対応に奔走した。現場業務を担当する中で、学生時代の研究テーマであった「ドライバーの視線と事故の相関」に関連するバス会社のドライバー向け安全運転講習の講師も務めるなど、学生時代の経験が実務に結びつく手応えを感じた。この経験が、損害サービスの仕事への誇りと、より深く「悲しみを減らす」仕組みに携わりたいという情熱の原点となる。その後は、現場で難事案対応や後輩指導を行うKP(キーパーソン)として実績を積み、2013年には丸亀損害サービスセンター(当時)へ異動。しかしそこで、若さゆえの苦い思いも経験する。
そんな自身の想いを活かせる場は保険会社なのではと考えた倉田は、東京海上日動へ入社を果たす。最初に配属された横浜損害サービス第二課(当時)では、自動車事故の対人・対物賠償などの事案対応に奔走した。現場業務を担当する中で、学生時代の研究テーマであった「ドライバーの視線と事故の相関」に関連するバス会社のドライバー向け安全運転講習の講師も務めるなど、学生時代の経験が実務に結びつく手応えを感じた。この経験が、損害サービスの仕事への誇りと、より深く「悲しみを減らす」仕組みに携わりたいという情熱の原点となる。その後は、現場で難事案対応や後輩指導を行うKP(キーパーソン)として実績を積み、2013年には丸亀損害サービスセンター(当時)へ異動。しかしそこで、若さゆえの苦い思いも経験する。
「当時の丸亀損害サービスセンターでは、20代であっても組織マネジメントが経験できる環境でした。けれども、損害サービス主任の方々は経験豊富な先輩方です。当時は、組織マネジメントへの意気込みもあり、衝突することもありました。ただ、お互いに本音を言える現場だったからこそ、振り返れば教えてもらうことも多かったのだと思います。そこからは相手の気持ちを知るためにも、担当者全員と毎月必ず対話をしようと決めました。コミュニケーションを取ることは、今でも意識的に心がけています」
社会を知ることで得た、
経営視点と事前対策
経営視点と事前対策
事故対応の最前線で培った豊富な実務経験と、現場を動かす難しさと尊さを身を持って学び、積み上げてきたマネジメント力。入社から8年、着実に力を蓄えてきた倉田に、満を持して新たなミッションが下される。リスクコンサルティングの専門集団である「東京海上日動リスクコンサルティング・ビジネスリスク本部(現・東京海上ディーアール)」へと出向が決まったのだ。
そこで担うことになったのは、自動車分野にとどまらず、企業経営そのものを支えるリスクマネジメント業務全般。2011年に起きた東日本大震災をきっかけに、有事の際に企業が中核となる業務を継続・早期復旧させるためのBCP(事業継続計画:Business Continuity Plan)の策定支援が主な業務であった。
「災害やリスクが起きたときの悲しみを、いかに事前に減らしていけるのかという想いが自分の根幹にはあります。そのため、これまで対応してきた自動車事故とは異なるものの、『リスクを考える』という意味では共通していました。グループ会社でありながらも全く異なる風土だったため、社会を知って視野を広げるいい機会でもありました。中でも社会基盤を担う交通インフラ企業のBCP策定支援業務は、災害に強い社会インフラを築く重要な役目。データセンターなどにも入らせていただき、机上だけではなく実際の現場を見ることで新たなリスクに気づくこともありました」
想定外をゼロへ。
有事下での迅速な支援を実現する仕組みづくり
有事下での迅速な支援を実現する仕組みづくり
2020年4月。
今年度の提案を構想していた矢先、倉田に突然の異動が発令される。通常、内示が出る時期を過ぎてからのこの辞令は異例のこと。しかし、時はコロナ禍真っ只中。会社として社員の安全と経営をいかに守り抜くかが急務となっていた。
今年度の提案を構想していた矢先、倉田に突然の異動が発令される。通常、内示が出る時期を過ぎてからのこの辞令は異例のこと。しかし、時はコロナ禍真っ只中。会社として社員の安全と経営をいかに守り抜くかが急務となっていた。
「前例のない事態だからこそ、リスクコンサルタントとして培ってきた自身の知見が必要とされたのではないか」倉田は当時をそう振り返る。こうして、企業のBCP策定を支援するコンサルタントの立場から一転、総務部・災害対策推進室にて自社のBCPを見直す新たなプロジェクトを任されることになる。リスクマネジメントの専門メンバーとして招かれた倉田は、チームメンバー2名とともにわずか3か月という短期間で、BCP見直しのロードマップを作成し経営層を納得させる必要があった。
「私たちに課せられた命題は、いかなる時もお客様の“いざ”をお守りするために『想定外をなくす』こと。新型コロナウイルスの感染拡大という未曽有の状況下における首都直下地震との複合災害を想定し、BCPを見直す『複合災害プロジェクト』が発足しました。内容を噛み砕きつつ説得力を持って提案するためにも、経験だけでなく時には大学教授などの専門家の元に足を運ぶなど、裏付けとなるデータを各所から引っ張ってくることもありました。これまで培ってきた専門性が、まさに今、試されている。そう確信し、自身の持てるすべてを注ぎ込み、最適解を模索し続けました。当時を振り返ると、それまで経験したことのない大きなプレッシャーを感じつつも、かつてないほど充実した日々でした」
コンサルタントとして得た知見を、自社という事業会社の中で、当事者として実践していく。これまでのキャリアが点と点で確実につながっていくが、丸亀で学んだチームプレーの尊さも忘れてはいない。災害が起きると東京海上日動には災害対策本部が設置され、倉田の在籍する総務部は本部の事務局を担うこととなる。
2021年、2022年の福島県沖地震、2024年の能登半島地震。大規模災害への対応が続く一方で、全国では通常の事故も発生し続けている。その双方を滞りなく遂行するため、倉田は損害サービス部門をはじめ各部門と連携し、体制整備に取り組んだ。取りまとめの難しさを肌で感じつつも、被災エリアに派遣する応援要員の調整や、一部業務の簡素化を遂行していった。
「損害サービスの業務は、個々の事案に対する深い法的知識や状況判断が求められる、非常に高度で専門性の高い仕事です。しかし、大規模災害という極限状態においては、『あの人じゃなきゃできない』という属人性は、迅速な救済を阻むリスクになり得ます」
高度な判断を必要とする業務でありながら、誰もが迷わず動けるような仕組みを構築する。平時からの準備こそが、連携の要となると考えた倉田は、コンサルタント時代に得た経験から答えを導いていった。
「損害サービス部門で培った『現場のリアリティ』と、コンサル時代に磨いた『客観的な仕組みづくりの視点』。この両輪があったからこそ、災害対策本部においても、現場の負担を軽減しながら組織全体の機動力を最大化する、実効性の高い体制を構築できたのだと感じています。これは、いかなる災害対策においても、本質的な備えです」
二つの経験が生んだ新しい災害対応のかたち
入社から15年。
事故の悲しみを減らしたいという長年の想いと、これまでの災害対策で培ってきたリスクマネジメントの知見が重なり、自動車損害サービス分野では初となる新たなポストが誕生した。その力は、すぐさま熊本で生かされることとなる。
事故の悲しみを減らしたいという長年の想いと、これまでの災害対策で培ってきたリスクマネジメントの知見が重なり、自動車損害サービス分野では初となる新たなポストが誕生した。その力は、すぐさま熊本で生かされることとなる。
「令和7年に起きた熊本豪雨は、当社でも近年稀にみる規模の水災でした。すぐに現地に入り対策室の立ち上げを行ったのですが、災害が起きると、どうしても社員だけでは追いつかなくなります。そこで数年前から当社で活用していたBPO(Business Process Outsourcing)による遠隔地支援の調整を水災では初めて導入することにしました。水災対応で最も大変なことは、雨が止んだ直後に一気に事故報告の入電があることです。BPOを活用しての目標は、1週間以内にお客様全員に連絡を終えること。ベースとなる仕組みはあったものの、ほかの災害とは勝手が違う水災対応では切り取った工程を異なる担当者が担う難しさも多く、連携や育成をどう整えていくのかは今後の課題となりました。ただ、令和7年9月の記録的短時間大雨によって発生した三重県四日市市の水災では、熊本の経験を生かしたことで初期対応を2日で終えることができました」
※写真はイメージ
総務部に災害対策推進室を設けるなど、各業務に特化した専門性の高い部署が数多く存在する東京海上日動。出向も含め多彩なキャリアを積んできた倉田だが、その先のゴールはただひとつ。悲しみを減らすことである。
「当社には、一つの領域を究めるスペシャリストもいれば、私のように多様な現場で視野を広げながら専門性を掛け合わせていく者もいます。私自身、思いがけない異動や慣れない業務に戸惑った瞬間もありました。しかし、一見“想定外”に思える場所こそ、それまでの自分には見えていなかった世界を知り、大きく成長できるターニングポイントだったのだと今は思えます」
当時は点に過ぎなかった一つひとつの経験が、「災害対応専任ポスト」という責務において一本の線となって繋がった。学生時代から抱き続けてきた「事故による悲しみを減らしたい」という志を、より大きな規模で具現化できていると倉田は力強く語る。
「これから社会に出る皆さんに伝えたいのは、信頼できる環境に身を置き、目の前の想定外に対してオープンマインドでいてほしいということです。先の見えない変化を恐れるのではなく、その変化を自分の専門性を広げるチャンスとして楽しむ。15年前の自分にもそう言い聞かせたいですね」
あらゆる想定外を、確かな「安心」へと変えていく。15年前に誓った「事故の悲しみを減らしたい」という不変の使命を胸に、倉田はこれからも、変わりゆく災害の最前線で新たな守りのかたちを築き続けていく。
※仕事内容、所属部署、職種は取材当時のものとなります。




